読書する農民 : プロイセン近代民衆啓蒙史像の再検討
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概要
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本研究は従来の研究史にみられる民衆啓蒙史像を検討し,民衆啓蒙の意味を再構築しようとした試論である。この過程は同時に啓蒙を教育と機械的に対置させる教育史認識の再検討をともなうことになろう。(i)18世紀の啓蒙主義は民衆にその啓蒙の光をどのようにあてたのか。これは史実と研究史において問われなければならない。周知のように,長い間民衆,とくに農民は,啓蒙家および研究者によって,啓蒙されるべき無知な対象と捉えられてきた。(ii)ところが1960年代ころから民衆啓蒙史研究は書物と新聞の出現に注目した読書社会史の地平を拓き,「読書狂」時代を発見した。だがその読書界には農民の姿は捉えられなかった。農民はいまだ読書する能力をもたない存在であった。この観念はとくに啓蒙家と研究者にとって牢固として抜きがたいほどのものであった。(iii)60年代以降の民衆啓蒙史研究も,残念ながら,とくに農民の啓蒙について,上記の伝統的な農民像に依然として拘束されたままで,すなわち読書力(識字力)の〈欠如〉の壁に阻まれて,いわば閉塞の状況にあった。(iv)ところが,近年,読書する農民の存在が次第に掘り起こされてくるに従い,18世紀の啓蒙主義時代に啓蒙される農民から自己啓蒙する農民の姿が浮かびあがってきた。筆者もすでに別の機会にメノッキオ(C. ギンスブルク),ナド(喜安朗)に比せられるカリースを見いだしたが,カリースの存在はまさしくこの農民の存在を予感させるに十分なものであった。Konnte ein Volk das Licht der Aufklarung im 18. Jahrhudert geniessen? Es ist sehr bekannt, dass ein Volk seit langem als das zu aufklarende Sein von Aufklarer und Historiker (H. Boning [1990], E. Grathof [1937], W. Martens [1968], H. Langenohl [1968] ) betrachtet worden hat. Denn sie meinten oder aber glaubten, dass ein Volk die Lese-und Schreibfahigkeit gar nicht erworden hat. Erst in den 70er Jahren, d. h. durch der Entwicklung der sozialhistorischen Untersuchungen vom Lesen, wurden die Bauern, die das Lesebedurfnis und der Lesegeschmack haben, z. B. von R. Schenda [1977] und R. Siegert [1987], neu gefunden. Auch Ich konnte diese Tatsachen durch meine Untersuchung von dem Dorf Neuholland bestatigen, woran die lesenden Bauern, die die Lese-und Schreibfahigkeit in der Landschulen einst erlernt haben und sich selbst aufklaren konnten, in den 1780er Jahren entstanden haben. Hier mochte ich wieder Herrn Prof. Dr. Harald Scholtz und Herrn Dr. Wolfgang Neugebauer mein Dank fur die sich auf mein Theme beziehende wichtige Gesprache abstatten.
- 上越教育大学の論文
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