平安時代における浄土庭園の進展に関する研究 : 無量光院庭園の役割
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概要
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本論文の目的は平安時代における浄土庭園の発展史に関する無量光院庭園の役割とその庭園の背景思想・作庭コンセプトを明らかにすることにある.本論文の研究結果として平等院庭園と無量光院庭園では庭園の地割,背景コンセプトなど様々な相違点があることが分かった:1.確かに無量光院の阿弥陀堂は平等院鳳凰堂の強い影響を受けて作られたものであったが,注目すべきことは,無量光院の阿弥陀堂「新御堂」のスケールは,平等院鳳凰堂より大きかったこと.その事実は,藤原秀衡がただ平等院の鳳凰堂を模倣したかったわけではなく,明らかに,藤原頼通より華麗・壮麗な寺院と庭園を作りたっかたことを示している.2.奥州藤原氏三代にとって,無量光院の意味と価値がかなり高かったことがその寺院の命名で分かる:「無量光」というのは阿弥陀如来の別名でもある「無量光仏」.3.平等院の池には中島一つしか存在しないが,無量光院の池はそれと違って,もう一つの中島が存在した.主島には阿弥陀堂,もう一つの中島にはおそらく三重の塔とその他の建造物が存在した.その地割が浄土庭園の発展史上に対して,唯一のものであった.4.無量光院の阿弥陀堂は,平等院の鳳凰堂と同じように中島の上に立てられた.その特別の建造様式は浄土庭園の発展に関する最も特徴あるもののうちの一つであった.しかし,平等院庭園と無量光院庭園は別々の哲学的な背景コンセプトに基づいて作られたのであろう:平等院庭園は源信の往生要集に説明してある「地獄極楽」というコンセプトにより作られたと思われる.そのコンセプトは,今戒光明寺の「地獄極楽図」に図化されている.無量光院庭園の地割はそれと違って,釈迦が教えた「二河白道」というコンセプトにより作られたと考えられる.このコンセプトは,例えば香雪美術館の「二河白道図」に図化されている.平等院庭園では,鳳凰堂の正面と向かい側の池岸とのつながる橋がなかった.しかし無量光院庭園では,主島と中島と池岸との間に橋があった.その理由で,無量光院庭園の場合,だれでも希望すれば,自力で阿弥陀堂「浄土の世界」の方に向かうことができた.5.図2に示すように,無量光院庭園は平安時代の浄土庭園の発展における最後の段階にあると思われる.無量光院庭園は浄土庭園の典型的な作り方と特別な作り方の両方の影響を受けたことが考えられる.以上の理由で,平泉の無量光院庭園は平安時代における浄土庭園の発展史に関して,最高水準に達したものと評価される.
- 1998-03-31
著者
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