夏目漱石と西田幾多郎における東洋と西洋 : 『行人』と『善の研究』
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概要
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漱石は、自己の内なる狂気と対峙し、狂気を作品に相対化して描くことで、人間の生の根源にある心の実体を描き出そうとする。漱石は、『行人』の前作『彼岸過迄』で、「自分はたゞ人間の研究者否人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様を、驚嘆の念を以て眺めてゐたい」(「停留所」一『漱石全集』七巻、三九頁)と述べている。漱石の文芸創作の課題は、「人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様」を相対化して描くことである。『行人』は、その最も実在的な、人間の暗闇を映し出し、狂気を極限にまで相対化して描いた作品である。『行人』にある「即ち絶対だと云ひます。さうして其絶対を経験してゐる人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、其半鐘の音は即ち自分だといふのです。従つて自分以外に物を置き人を作つて、苦しむ必要がなくなるし、又苦しめられる懸念も起らないのだと云ふのです」(四四『漱石全集』八巻、四二七頁)は、西田幾多郎の「自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している」(「第一編 純粋経験 第一章 純粋経験」『西田幾多郎全集』一巻、一頁)状態と響き合うのである。夏目漱石と西田幾多郎は、ともに明治という時代とともに青春を過ごし、和魂洋才のなかから、独自の境地を切り開いたのである。
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