『野分』論 : 実相と影
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概要
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「白井道也は文學者である」の冒頭は、明治三十九年の漱石の決意である。明治三十五年(一九〇二)十二月五日にロンドンを出発し、明治三十六年(一九〇三)一月二十三日に帰国した漱石は、三月三十一日に第五高等学校を依願免官し、四月十日には第一高等学校英語嘱託に就任、東京帝国大学英文科講師を兼任するようになる。さらに明治三十七年(一九〇四)暮れからは『吾輩は猫である』が書き出され、『倫敦塔』『カーライル博物館』が書かれ、明治三十八年(一九〇五)一月には『吾輩は猫である』が「ホトトギス」に、『倫敦塔』が「帝国文學」に、『カーライル博物館』が「學鐙」に掲載される。こうした漱石の「學理的な方面」と「創作的な方面」に引き裂かれるべく始まった二足の草鞋的な生活は、彼に究極の選択を強いることとなる。文学という土俵で、講義と創作という二つの自己表現の方法をもつ漱石は、自己の生活のための講義をとるか、自己の内的欲求に従って創作を本業にするかという苦しい選択を迫られていた。当時妻鏡と八歳の筆を頭とする四人の娘を扶養しなければならなかった漱石にとってこれは難しい選択であった。こうしたぎりぎりのところで書かれた『野分』には、創作にかけた漱石の文学へのあふれんばかりの熱情そのものが込められている。にもかかわらず、作品では文学者である白井道也の「理想が現実に復讐されるからくり」の結末をむかえる。「愕然たる道也先生を残して、高柳君は暗き夜の中に紛れ去つた。彼は自己を代表すべき作物を轉地先よりもたらし歸る代わりに、より偉大なる人格論を懐にして、之をわが友中野君に致し、中野君とその細君の好意に酬いんとするのである」は、現実とのかかわりの中で道也の理想が現実にさらされるところを描いたものである。ということは、「"余裕""〓回"や美と想念(死)の世界を含み込みつつ、さらにそこから一歩踏み出した『野分』における漱石の位相」が、描かれることとなる。自らの重力で崩壊する危険をはらみながら、その核から生じる実相と影を描くことが、『野分』の重要なモチーフなのだ。
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