宮沢賢治『注文の多い料理店』論 : <ほんたうのたべもの>について
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概要
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賢治の童話は、その法華信仰に強く根差してはいても、それが決して説教臭くなったりすることはない。なぜなら、賢治自身が信仰であり、その心のさまをそのまま描いたものが「心象スケツチ」(「新刊案内」) という賢治童話だからである。それは、かりものではない、賢治の心身をかけた祈りそのものである。賢治にとっては、「きれいにすきとほつた風をたべ」(「序」) ることも、「桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」(序) ことも、日常茶飯の出来事で、特別なことではない。しかし、賢治をとりまく社会は、「すばらしいびらうどや羅紗や、宝石いりのきもの」(「序」) に、現を抜かす。そうした社会の暴力や貧困に蝕まれていく純真無垢なこどものために、賢治は祈りを込めて、童話を書くのである。人間の生そのものが抱える不条理を、現代社会が抱える精神の危機を打開するために、「すきとほつたほんたうのたべもの」(「序」) の実現を、九つの童話に託すのである。童話集の三番目に収録された「注文の多い料理店」では、信仰によっても救いきれない人間の軽薄が、二人の紳士の顔がもとにもどらないことの原因である。賢治が、「都会文明と放恣な階級に対する止むに止まれない反感」(「新刊案内」) と書いたとき、その矛先を自分自身にも向けたに違いない。「イギリス風紳士」を迎え撃つ「山猫軒」は、その名のとおりすべてにおいて、西洋風にできた「西洋料理店」なのである。「山猫」も、巧みな言葉をつかって獲物をおびきよせる狡猾な頭脳犯なのである。「すきとほつたほんたうのたべもの」(「序」) とは、こうした現代社会に巣くうのっぴきならない根源悪に立ち向かうための唯一の武器であり、時代や社会に押し流された人間が、本来のすがたにもどるための解毒剤でもあったのだ。
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