西洋近代を超えるもの : 漱石文芸における <狂気> の諸相 (2)
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概要
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漱石と明治時代は、一人の人間とその時代という関係をはるかに超えた特異なものであり、人間の魂と時代の精神が血肉化した濃密な関係である。漱石は、明治という大きな時代の転換期に生を受け、その時代の混乱と急成長の荒波をまともに受けた近代知識人の一人であった。明治という時代が抱えた外発的開化という特殊性が、漱石という一人の作家に、自己本位という立脚地に立った文学創作をもたらした。近代日本の精神は、日本文化の伝統を内在させつつ、西洋近代合理的知性に飲み込まれていくという自己喪失の危機に瀕していた。西洋近代化に侵食されるなかで、国家有用への使命を帯びた近代知識人は、西洋近代合理的知性に依拠しながら、そこに安心立命できないという分断された危うい状況に陥る。西洋近代化に生理的な嫌悪感や明確な疑義を持ちながらも、その開化をやめることができないという葛藤が、漱石のなかから噴出する。漱石は、ロンドン留学で西洋近代を自身で体感したことから、さらにその問題意識を増幅させ、帰国後は、文学創作や講演を通して、この明治という時代の西洋近代化への盲従に警鐘を鳴らし続ける。漱石は、自己本位のもとに文芸の方法論を確立するとともに、人間の精神の異常な有様である狂気という源泉をもつ作家として、西洋近代合理的知性を超えるという主題を作品に描いた。西洋近代化の波に曝され、自己を喪失するという危機的な明治という時代にあって、西洋近代合理的知性を超えるものを目指すという極めて困難な主題を、その文芸で展開するのである。漱石文芸における狂気の諸相とは、近代合理的知性の病巣を映し出す鏡であったのである。
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