情報化時代の力の行方 : ウィトゲンシュタインの後期哲学を手がかりとして(<特集>情報化時代における教育学の課題)
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概要
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ウィトゲンシュタインの後期哲学は、反表象主義の主要な典拠となっており、教育学においても、「情報化」の要請に対応した、「力」を重視する現代的な教育論の傾向にそって解釈がなされている。これに対して本稿が試みるのは、ウィトゲンシュタインの後期哲学を、「力」を重視する教育論の基盤を掘り崩すような哲学として解釈することである。ウィトゲンシュタインは、反表象主義の立場を徹底することによって、一方で教えることの不確実性を明らかにするとともに、他方では、この不確実性を回避するために教育論が通常子供の心のなかに想定している「力」の観念を解体する。その結果、教育は極めて脆弱な営みとして現れることになる。ウィトゲンシュタインは、その小学校教師時代、こうした教育の脆弱さに実際に直面していたと推測できる。しかし『哲学探究』のなかには、教育の脆弱さを克服する可能性が、理解されていないものを理解可能なものにおいて示すという「事例」のメディア的構造として示唆されてもいるのである。
- 2006-06-30
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