金森楽市令
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
元亀三年の金森再蜂起の後、信長は金森の地に楽市令を出した。本稿はこの金森楽市令の分析である。金森は坂本・志那・守山をつないで、京都と東山道を結ぶ志那街道上にあり、この街道は当時の幹線道路だった。このことが原因で、金森は一向一揆の拠点となった。楽市令の第一条はこれまであった金森の寺内町特権を再確認したものであり、第二条は宿駅都市金森の発展を図ったもの、第三条は弓矢徳政である。
著者
関連論文
- 尾張二の宮宛て定書
- 苻中府宮宛て信長定書
- 金森楽市令
- 安土山下町中宛信長朱印状
- 安土楽市令と伝馬制度
- 富士大宮楽市令
- 智多郡・篠島商人宛て自由通行令
- 教育の自己評価
- 港市の諸相
- 東アジアの中の中世日本
- 戦国期日本の貿易担当者 : 禅僧からイエズス会士へ
- 長崎開港史 : 家船の陸上がりの視点から
- 加納楽市令
- 瀬戸宛て信長制札
- 熱田八ヶ村宛て信長制札
- 鋳物師水野太郎左衛門
- 天正19年インド副王宛秀吉書簡の分析
- 博多「唐坊」と蒙古襲来
- パテレン追放令再考