智多郡・篠島商人宛て自由通行令
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概要
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本稿は、家督を継いだばかりの信長が、知多郡・篠島の商人を保護し、彼らに対し往来の自由を認めた折紙の分析である。本稿での私の目的は、当文書発給の歴史的な場面を復元することにあるOここで私は、先学が暖味にしてきた「当所守山」を、当時の信長の勢力圏「那吉野・守山間」とし、宛名の「大森平右衛門尉」を守山・大森にあった宿・関と関わった人物で、この折紙により、知多郡・篠島の商人の商人司に任命されたとの考えを提出した。当時交通の自由を妨げていたものは、通説では経済関とされているが、この文書の分析によって明らかになったことは、質取りや喧嘩などで人身の自由が脅かされていたことが大きかったとなろう。
著者
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