東アジアの中の中世日本
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概要
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日本・朝鮮・ベトナムは中国の周辺にある国として「冊封体制」と云う共通した歴史的条件の下にあった。しかし10世紀以降において,朝鮮・ベトナムが中国の強い模倣強制の下にあったのに対して,日本は中国の模倣強制の圧力の外にあり,独自な歴史を歩み出していた。その端的な現れが「かな文字」の発明であり,民族宗教である「神道」の発展である。その原因には,日本が貨幣商品である「金・銀・銅」の輸出国として,中国に対して経済的に優位にあったこと,特に元蓮以降は日本が東シナ海の制海権を握り,中国に対して軍事的に優位にあったことの二点が考えられる。
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