1925年から1927年までのパウル・エストライヒの諸論説から : ドイツ教科教授史研究(IV)
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概要
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In diesem Aufsatz handelt es sich um die Darstellung der Ergebnisse unseres sorgfältigen Durchsehens von P. Oestreichs einigen Schriften in den Jahren 1925-1927. Mit dem Artikel "Ein Fußtritt" (1925) rechnet Oestreich wiederum mit den rechten SPD-Schulpolitikern ab. Der Artikel "Die Begabung der Begabten" (1926) ist seine Auseinandersetzung mit Dr. Wilhelm Hartnacke, Stadtschulrat von Dresden, der mit seinen reaktionären biologischen und rassenkundlichen Begabungstheorien zum Wegbereiter der faschistischen Pädagogik wurde. Darauf haben wir folgende Erkenntnisse durch das Durchsehen von seinen weiteren Schriften in der Jahre 1927 gewonnen : "Prüfel als Schul-'Strafe'?" ; Sind Kolonien Erzieher zu volklicher Persönlichkeit? ; Die Not Front!. (1) Aus humanistischer Haltung wendet sich er gegen die Prügelstrafe. (2) Er hat zusammen mit seinem Kampf gegen Nationalismus, Chauvinismus, Rassismus und Militarismus den fortschrittsfeindlichen und antidemokratischen Charakter der Kolonialpropaganda als einen wesentlichen Bestandteil der ständigen intensivierten imperialistischen Erziehung angegriffen. (3) Besonders eingehend hat er sich mit den Bestrebungen reaktionärer Kräfte auseinandergesetzt, durch Wiederherstellung der konfessionellen Gebundheit aller Volksschulen den EinfluB fortschrittlicher politischer und weltanschaulicher Lehren zurückzudrägen.
- 愛知教育大学の論文
- 1991-02-20
著者
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