関東・伊豆東部沿岸における宝永・安政東海津波の挙動
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概要
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関東・伊豆東部沿岸を対象に,宝永・安政東海津波における各地の史料・伝承記録を集め,両津波の挙動を調査した.安政津波は,伊豆東部沿岸の集落内に遡上し,津波の高さは3~6mに推定され,半島の付け根付近が高い.また,東京湾では東京・浦安・横浜の河口付近に溢れている.1923年関東地震津波と比べると,相模湾沿岸では津波の高さは下回つたが,外房・九十九里浜では集落に溢れ2倍ほど上回った.宝永津波の高さの分布は,安政津波とほぽ似たパターンを示している,両津波の高さが予想外に大きい要因の一つとして,南海・駿河トラフで発生した津波がエッヂ波のように伊豆東海岸に伝わり,加えて波の屈折効果が作用したものと考える.The two large tsunamis of Oct. 28, 1707 (Hoei 4) and Dec. 23, 1854 (Ansei 1) hit the Tokai district, the Pacific coast in Central Japan, and propagated into the Kanto and the East Izu districts. In the present paper, the old documents and the legends scattered along the Kanto and East Izu coasts (from Shimoda to Choshi) are illustrated. Based on descriptions collected from the field investigations, inundation heights (above M.S.L.) of the 1707 Hoei and 1854 Ansei tsunamis along the Kanto and East Izu coasts are examined and compared with those of the 1923 Kanto tsunami (Sept. 1, 1923). The inundation heights of the 1854 Ansei tsunami were lower than those of the 1923 Kanto tsunami, but on the east coast of the Izu Peninsula they were 3 to 5 meters and on the north side of the peninsula maximum run-up was 6 to 7 meters. The inundation heights along the west coast of the Miura Peninsula were 3 to 4 meters. Along the east coast of the Boso Peninsula, the inundation heights were 1 to 1.5 meters and the run-up at Kamogawa was 3 to 4 meters. The inundation heights along the Boso coast are about double those of the 1923 Kanto tsunami. The 1854 Ansei tsunami also invaded Tokyo Bay and inundated the mouths of rivers. The estimated heights of the 1707 Hoei tsunami are almost the same as those of the 1854 Ansei tsunami. In spite of the long distance from the tsunami origin, the Kanto and East Izu districts were remarkably damaged by the two historical tsunamis. This suggests that the tsunamis propagated as the edge waves along the east coast of the Izu Peninsula and concentrated at the corner of Sagami Bay.
- 1985-03-30
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