イスラエル的及びイスラム的要素でダブリンを描く : ジェイムズ・ジョイスの多国籍モダニティ
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
T. S.エリオットは、「『ユリシーズ』、 神話と秩序」で、ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を「神話的方法」で書いたと説明した。しかしながら、ジョイスは単に1904年のダブリンを『オデュッセイ』に平行して書いたのではなかった。彼は多くの非ヨーロッパ的要素をテクストに織り込み、ダブリンを多国籍化/国際化したのだ。本稿は、ジョイス作品群におけるユダヤ、アラビア的要素を含めたオリエンタル・モティーフを再考することを目的とする。とくに『アラビアン・ナイト』とコーランへの引喩は独立した章で分析される。キリスト教徒は聖書に描かれたユダヤ民族の歴史や民話に馴染んできた。ユダヤ人はオリエントとヨーロッパの境界に生きてきた。中世以来、ユダヤ人は西洋において、西洋人としてもオリエンタルとも見なされてきた。ユダヤ的あるいは他のオリエンタルな要素を考察することが、ジョイスの文学的東方への旅を理解する第一歩となり得るのである。「食蓮人たち」挿話の最後で、ブルームはトルコ式風呂でくつろぐ自分の姿を想像する。『ユリシーズ』では預言者ムハンマドが3度、『アラビアン・ナイト』のいくつかの物語も言及される。『フィネガンズ・ウェイク』では、ショーンはシェムのことをこう言う:「おれはやつの姿全部のコーラン定足数を、おれの網膜歳入に入れてるんだ、ムハンマドーン・マイク」(FW 443.1-2)。ジョイスは、ジョージ・ラッセルやW.B. イェーツに影響されて、神智学やオリエント研究にダブリンで興味を持った。大陸へ亡命して、彼はユダヤ人に興味を持った。そのことは『ジァコモ・ジョイス』や『ユリシーズ』に反映されている。ジョイスのトリエステでの蔵書はユダヤ人に関する数冊やアルマンド・ドミニチスによる『アラビアン・ナイト』の伊語訳も含んでいた。1920年ジョイスはパリへ行き、不特定多数の非ヨーロッパ人に出会うことができた。ジョイスのパリでの蔵書(1930年代後半)は、アングロ・アイリッシュの著名なオリエント学者リチャード・F・バートンの英訳『千夜一夜物語』やJ.-C. マードルの仏訳コーランも含んでいた。外国に暮らし、生涯を通してジョイスはダブリンを多国籍化手法で描いたが、部分的には、それは彼のキリスト教に対する双価性と東洋の他宗教の容認のおかげなのである。
著者
関連論文
- 「そして私は憎まれ、迫害されている民族に属している」 : 『ユリシーズ』における反ユダヤ主義
- 『ジァコモ・ジョイス』における反ユダヤ主義と反フェミニズム
- レオポルド・ブルームはユダヤ系フリーメイソンなのか?
- 進行中の「蟻とキリギリス」と『死者の書』 : Finnegans Wake 試論
- Nationalism in Ulysses and Kenji Miyazawa's Works
- 『ユリシーズ』第7挿話論 : フェニックス公園殺人事件とスティーヴンのプラムの寓話
- 『ジァコモ・ジョイス』における反ユダヤ主義と反フェミニズム
- 「我は蜂起者にして生命なり」 : 『ユリシーズ』第6挿話にアイルランド愛国主義を読む
- Diaspora Jews in Joyce's Dublin : Irish Jewish Lives Described in Ulysses
- How Did Buddhism Influence James Joyce and Kenji Miyazawa?
- イスラエル的及びイスラム的要素でダブリンを描く : ジェイムズ・ジョイスの多国籍モダニティ
- 「快い哲学」 : ジョイス作品における宗教的アイデンティティの和解
- アイルランド性のアジア性を意識すること : ジョイス周辺のアイルランド人オリエンタリストたち
- CALL English Courses in the General Studies Program : A Case Study in Iwate Prefectural University
- CALL English Courses in the General Studies Program: A Case Study in Iwate Prefectural University
- Mediterranean Joyce Meditates on Buddha