日向延岡藩領宮崎郡における村役人と地域社会
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概要
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延岡藩領宮崎郡は二三カ村は、太田・大島・跡江・瓜生野四組に分かれ、村には庄屋、組には大庄屋が置かれた。大庄屋は苗字帯刀御免・米五俵を給され、猪八重・後藤などの特定の家が世襲した。しかし跡江・瓜生野組では文政期に村方騒動により大庄屋の交代がみられ、跡役は庄屋から選ばれている。一方庄屋は米二石八斗を給され、原則として世襲した。宮崎群は他領・幕領と三位を接し、そのため村方騒動や他領村との出入りが多く、庄屋の交代も多く見られた。大庄屋跡を庄屋が継いだり、大庄屋が庄屋を兼帯するなど、両者はともに地域自治の担い手として位置づけられる。また、功績により郷士に取り立てられることもあり、その際は大庄屋・庄屋を免じられたが、幕末期には兼帯もみられた。文政十一年瓜生野村騒動、天保三年跡江村・薩摩藩領有田村出入および同八年幕領細江村強訴をみると、それらの騒動は実質的には地元を知る大庄屋・庄屋および郷士などによって内済されていた。宮崎代官や藩郡方からの出役郡奉行らは彼らの協力なしで騒動を解決することは困難であった。彼らは地域社会における社会的権力のひとつであったといえよう。
- 2010-03-05
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