プレスナーの哲学的人間学における位置性の理論(6)
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概要
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プレスナーの哲学的人間学は,シェーラーから大きな影響を受けながらも,シェーラーとは相対的に独立の道を進んで,仕上げられた。それは,生物学から哲学に転向した彼の経歴にふさわしく,当時の生物学の専門的な知識を駆使して展開されており,その議論はしばしば高度の専門性に達している。そしてそれは,生命世界と生命現象の全体を,生命あるものが周囲環境に対して取る位置形式という観点から一貫して追求しようとした点で,確かに前例のないものであった。またそれは,シェーラーのあの有名な『宇宙における人間の地位』が現れたその同じ年に,人間の本質および人間と動物の本質的差異を,生命世界を超越した「精神」の原理に求めるというようなシェーラーの形而上学的な人間学を最初から超え出て,これらの諸問題を生命世界の内部でのみ探究しようとして登場したのであって,この事実はもっと高く評価されてよいであろう。生命が境界と二重アスペクト性をもち,植物が周囲環境に開放的,動物が閉鎖的であるのに対して,人間が脱中心的であるという彼の理論も,現在なお有効な射程をもつ思想であると評価されよう。しかし他方では,それは,方法論においては,生物学という経験科学の素材を扱いながら,経験を可能にする条件としてのア・プリオリなものに固執するという不整合に陥っているかに見えるし,構成主義・演繹主義の要素も無視しえない。また,当時の生物学の時代的な制約と関係して,植物を動物の「下位」に位置付けたり,人間と比較した場合の動物の限界を,空間・時間的な<ここ-今>への埋没,あるいは否定的なものに対する「感覚の欠如」と規定するなど,今日の比較認知心理学では証明できないような主張や進化論に対する否定的態度をも含んでいたことも,大きな弱点であったといえよう。また,人間の「脱中心性」概念にもいくつかの問題点が含まれている。それは動物の「中心性」からの移行の可能性をもたない固定的なものと見なされている。そして,人間が「脱中心性」という位置形式をもつがゆえに,自我と自己意識をもち,内面性の背後に「消失点」または「眺望点」をもつことを可能にしたというプレスナー人間学の根本テーゼも,むしろこれとは逆の方向で,つまり,人間が進化の過程のなかで獲得した大脳化とその所産としての自己意識が人間の「脱中心性」を可能にしたと考える方が合理的であるように思われる。以上のように,総括して始めて,プレスナーの人間学思想にたいする全体的評価が可能になるであろう。
- 2004-03-30
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