演劇とオペラの間 : ハウプトマン『沈鐘』の本邦初演(1918)をめぐって
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概要
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明治・大正期のオペラ受容は演劇人の関与なしには展開し得ず、帝国劇場のオペラ上演だけでなく、浅草オペラ、宝塚少女歌劇など、複合領域的な舞台が数多く存在した。本稿では島村抱月率いる芸術座によるハウプトマンのメルヒェンドラマ『沈鐘』の本邦初演(1918)を取り上げ、上演の模様を概観しつつ、演劇の側からオペラ受容のあり方を考察することを目的とする。 『沈鐘』上演に際しては劇中歌の導入、台詞のレチタティーヴォ化が試みられるなど、オペラ的工夫が凝らされ、台詞と歌詞の繋がりに注意が喚起された。音楽は、抱月が大衆の新劇離れを解決するために必要と考えた「感覚的要素」としての役割を担い、また台詞と歌詞の繋がりの重視はそれまでの訳詞オペラ上演のあり方への批判とも考えられる。
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