若者の宗教倫理のセラピー化について
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概要
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現在, オウム事件や一部の異常な少年犯罪のために, 宗教教育をめぐる議論が活発である。しかし, 若い世代はそもそもどのような「生活思想」を抱いているのだろうか。この疑問に答えるために, ある仏教団体設立の宗門大学の3・4年生の学生を対象として簡単な質的アンケートを行った。彼らは, 1・2年次において宗教学入門・仏教学入門・禅学入門のうち2科目を選択必修科目として履修している。アンケートの設問は, 「なぜ人を殺してはいけないのか? 場合によっては殺してもよいと思う人は, その条件を述べよ」というもので, プライバシー厳守を約束した記名式アンケートであった。アンケート結果は, 以下の通りである。仏教の不殺生戒を用いて回答した学生はごく少数である。日本人なりの超越的なものの感じ方は, 「人間は自分一人の力で生きているのではなく, 生かされて生きている」というものであるが, この「生かされている感覚」を用いて回答したサンプルは多数あった。しかし, それに続いて多かった回答は, 「自分が殺されるのは嫌だから」というものである。「自分がされて嫌なことは人にしてはならない, だから人を殺してはいけない」という訳である。しかしこの回答には, 「自分が死にたくなったら (殺されたくなったら)」どうするのかという不安定さが感じられる。「殺したい人と殺されたい人を会わせる法的制度を作ればいい」という, こうした不安定さが直接出た回答もあった。ごく少数ながら, ニヒリズムに近い回答もあり, 僧侶の卵の中にもそうした回答が見られた。「自分が殺されるのは嫌だから」という回答には, 宗教倫理の「セラピー化」の傾向が見られる。「生かされている」感覚を直接表現した学生たちが他者と自己との関係性から回答を組み立てているのに対して, 「自分が殺されたくないから」と回答した学生たちは, まず自分の情緒的満足に目を向けて回答を組み立てているのである。この2タイプの学生の宗教倫理にはかなりの相違があり, 前者から後者への移行を「宗教倫理のセラピー化」と表現することが可能だろう。「セラピー的宗教倫理」の問題点は, アメリカの宗教知識人によって再三論じられてきたことだが, 日本の文脈でもある程度あてはまることが調査によって明らかになった。日本における従来の宗教教育をめぐる論議では, 宗教倫理の「セラピー化」の問題は, 軽視されてきたのではないか。それは, 近代の日本人の「功利的和合倫理」においては, 「我を捨てて人の和を大切にした方が結局は自分の利益にもなる」とされているから, 世界有数のキリスト教国でありセラピー大国でもあるアメリカの宗教知識人の好きなセラピー文化批判は当てはまらない, と考えられてきたからだろう。家族以外の持続的共同体を大幅に失った現在の学生の宗教道徳意識が「セラピー化」していくのは時代の必然であり, 「宗教知識教育/宗教情操教育」の二分法を越えて, そうした若者達に「生かされている」感覚を叩き込むような宗教教育こそ今こそ求められているものではないか。そうした宗教教育は, 教員と学生・学生と学生との間の人間関係の再編成を含んだものである必要があるだろう。現時点の日本では, 学校における宗教教育だけではなく, マンガ「寄生獣」や映画「バトルロワイヤル」のようなポップ・カルチャーもまたそうした役目を果たしているのではないか。
- 2004-09-20
著者
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