内観サークル運動における「交わり」と「距たり」をめぐって : ブーバー哲学との関連において
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概要
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この論文の目的は,宗教哲学者ブーバーの「我と汝」に関する議論の批判的継承を通じて,日本の新新宗教であるGLA系諸教団に見られるような旧本の現代宗教における内向性と人間関係の希薄さ」を,脱工業化社会との関係において考察することにある。ブーバーは,人間が世界とのコミュニケーションにおいてとる「『交わること』と『距たること』」という両極端の態度を抽象化して,「『我と汝』と『我とそれ』」という図式を提出した。この「『我と汝』と『我とそれ』」という図式は広く知られているが,ブーバーは「両者の中間領域」についても興味深い考察を展開している。この論文では,現代宗教の内向性と人間関係の希薄さをブーバーのいう「我とそれ」ならびに「両者の中間領域(不完全な相互性)」が肥大化した脱工業化社会における宗教道徳意識の変容として分析する。第1章(序論)では,ブーバーの「『我と汝』と『我とそれ』」に関する議論を整理して,議論における時代的制約に対して批判を加える。第2章の1では,現代日本の内観サークルの総体とその一部ともみなしうるGLA系諸教団(筆者の調査対象である「エルランティの光」)について簡単に説明する。第2章の2では,現代日本の通俗心理学において流行している「共依存」という概念を,ブーバーの議論に照らし合わせて考察する。第2章の3では,GLA系諸教団の内向的宗教性と人間関係の希薄さについてのデータを整理した上で,GLA系諸教団において「神と人間」の間の「我と汝」が強調される必然性を考察する。第3章(結論)では,現代日本の宗教界には,脱工業化社会において人々の関心が内向的になり人間関係が希薄化していく一方で,逆に「我と汝」を強調する流れがあることを述べる。
- 愛知学院大学の論文
- 1998-09-20
著者
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