<論文>内観サークル運動における『見立て話』の位相 : GLA系諸教団の事例研究より
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概要
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内観法(内観療法)とは,日本的心理療法(人格修養法)の一種である。そもそも,浄上真宗の一派で阿弥陀仏に対する信心を獲得するために行なわれていた「身調べの行」を応用したものである。内観法の基本は,両親など生活史上の重要人物を対象に,1.していただいたこと 2.して返したこと 3.迷惑をかけたこと,の3点を数え上げていくことである。通常は母親(ないし母親代わり)との関係を最重視する。「我執」を去って「人の身になる」トレーニングであり,「他者の愛と自己の罪」を凝視させることを目的とする。現在内観法は,比較的簡単な心理療法(人格修養法)として,宗教界(既成仏教・新宗教の両方)・教育界・企業研修・矯正所・臨床心理・精神医学などの各方面で広範囲に応用されており,日本内観学会の推定によれば,既に10万人を上回る支持者をもつ。またそれとは別に,70年代以降勢力を拡大しているいわゆる新新宗教(第4期新宗教)に内観を採用するグループは数多く,GLA系諸教団もそのひとつである。筆者が調査した「エルランテイの光」(1986 -)は,GLA系諸教団が完全に「内観サークル」へと展開した事例である。筆者はこうした現代日本の内観サークル運動について,吉本内観との関係を中心に既に何本かの論文を執筆しているので,詳しくはそちらを参照されたい。このグループでは,共依存者(「自分がない」人)に対して自覚を促すべく常識を逆撫でするような独特の説話を読ませている。参加者が初期の段階で必ず読まされるテキストの中には,「ブッダやイエスにならないための戒め」とでも呼ぶべき説話が含まれている。それらの物語では,ブッダは「母を失った自分を呪った」ことを反省している人物として,イエスは「母を切り捨てて神を求めた」ことを反省している人物として描かれている。ブッダは,「揺れない心」を求めるあまり自分の「欲の心」が見えなくなり,「母を失った自分を呪って」苦行に打ち込んだもののド悟った」と思って見た光の正体は自分の「欲の心」であった,ということになっている。一方イエスは,「母を切り捨てて神を求めた」のであり,十字架の上で「殉牧者を気取って自己陶酔」しながら「内心ひそかに母を見下していた」ことになっている。もちろんこれらの説話は学問的にはナンセンスな話であるが,「自分がない」人に対して「私にもそういう裏の心理があるのかもしれない」と自己反省させる効果をもつ。一般に内観サークルにおいて「先行する内観者の記録」は重要な役割を果たすが,このグループは「意識資料集」という名前でそれを蓄積している。そこには「内観者の生の手記や体験談」だけではなく,「軍人・サムライ・カルメン・マリー・アントワネット・巫女・酒鬼薔薇君」といった類型化された「見立て話」が数多く含まれており,参加者に対してそれらの見立て話も各自の内観(反省)の参考にさせている。もちろん,このように『見立て話」が発達するのは,参加者の「匿名性」を確保するためでもあろう。しかし,そうした消極的理由だけではなく,積極的な理由もある。そもそも「見立て話」とは,「個別の人物の物語」と「普遍的な心理学的実体概念」の中間領域に位置付けられる物語論的行為である。このグループの「見立て話」は,普遍的概念への志向が弱い「日本の大衆文化の伝統」と,複雑な心理的葛藤を扱う「心理療法の伝統」が合流したものとみることができる。ひるがえって,1.日本の新宗教における「見立て話」の伝統を再検討する,2.心理療法における実体概念を「見立て話」として再検討する,という作業も今後必要なのではないだろうか。
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