ジョヴァンニ・モレッリ『家族の記録』
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
本書は、ル・モニエ社(Felice Le Monnier)から刊行されている二十四折版叢書(Collezione in Ventiquattresimo)の一巻をなすものである。周知のごとく、書物の規格をもとにして命名されたこの叢書は、従来古代から近代におよぶ貴重な文献を刊行し続けてきたのであるが、ジーノ・カッポーニ、カルドゥッチその他の人々の賞讃を浴びながら、本書の初版本(私が用いているのは再版本である)が出るまで、文献学的な批評に立脚した真の完本が出版されていなかった本書のような作品こそ、まさにこの叢書に収録されるのに最もふさわしい作品であり、初版本刊行後にあらわれた多くの反響も当然だったといえるであろう。本書の作者ジョヴァンニ・ディ・モレッリは、監修者ヴィットーレ・ブランカ教授の記した略伝によると(本書P・9〜11の注)一三七一年十月三十日フィレンツェに生れ、一四四四年七月二十一日同市で没した富裕な商人で、羊毛組合(アルテ・デッラ・ラーナ)に所属、主に染色業を営んだが、そのかたわら羊毛の取引、両替商などにも手を出していたと伝えられている。フィレンツェ市の公職に関しても、三十七才の時「地区の旗手」(ゴンファロニェーレ・ディ・コンパニーア)をつとめて以来、「地区の旗手」を都合三度、「十二委員会(ドディチ・ボノーミニ)委員」を二度「執政」(プリオーレ)を一度、といった具合に数々の要職を歴任した上、六十九才の時にはフィレンツェ最高の公職だった「正義の旗手」(ゴンファロニエーレ・ディ・ジュスティツィア)にも就任している。一方家庭的には生涯に二度結婚し、最初の妻からは五男三女、二度日の妻からは一男、他に庶子が一男あったとも記されており、結構多忙な生涯を送った人のようである。彼の生きた七十余年において、フィレンツェで起った事件を拾い上げてみると、オット・サンティの戦い、チオンピの反乱、アルビッツィ家を中心とする寡頭体制をめぐるいざこざ、ジァン・ガレアッツオ戦争、アルビッツィ一派の追放とメディチ家の支配の確立等々、それに、長期間におよぶピサ戦争を加えると、ごく主だったものを見ただけでも、この時代が如何に波乱に富んだ、特に上層の市民たちにとって危険な時代であったかが分るであろう。
- 1975-03-20
著者
関連論文
- 近年のダンテ学における「定説」の周辺
- 紙の上の宮廷 : 中世・ルネサンス期イタリアにおけるノヴェッラ集の枠組の変遷
- 凡庸の都市から稀有の都市へ : フィレンツェ文化の基本的変革期に関するノート
- エステ家の起源を求めて : ライプニッツとムラトーリの共同研究の経過
- 系図学的資料より見たフィレンツェ共和国の二大役職と「家」
- L. A. ムラトーリの『イタリア年代記(Annali d'Italia)』に関するノート その4 : 中世(文化編)
- 「おれは誰だ」--「指物師グラッソ(il Grasso Legnaiolo)のノヴェッラ」ノ-ト
- A. フィレンツォーラのノヴェッラ紹介(文学編)
- ノヴェッラの起源と『ノヴェッリーノ』(文学編)
- モンタペルティ戦争覚え書(下)(文化編)
- ジラルディ・チンツィオ(Giraldi Cinthio)の『百物語(Gli Hecatommithi)』の世界(文学編)
- モンタペルティ・ベネヴェント仮説より見たダンテの時代(文化編)
- Girolamo Paraboscoの『気晴らし(I Diporti)』の輪郭(文学編)
- Girolamo Paraboscoの「気晴らし(I Diporti)」の輪郭
- ジラルディ・チンツィオ(Giraldi Cinthio)の「百物語(Gli Hecatommithi)」の世界
- Antonfrancesco Grazzini detto il Lascaの『晩餐』の輪郭(文学編)
- イタリア家族史研究所紹介 : Herlihy, Klapisch-Zuber, Barbagliらの業績を中心に(文化編)
- L. A. ムラトーリとパラティーナ協会 : R. I. S. 刊行の財政・文化的基盤(文化編)
- フィレンツェ発展におけるCarlo I d'Angioの役割について(文化編)
- Antonfrancesco Grazzini detto il Lascaの「晩餐」の輪郭
- 文献学者から歴史家へ -L.A.ムラトーリの「エステ家史考」論考-
- モンタペルティ戦争覚え書(上)
- コマッキオ論争とムラト-リの方法
- 中世フィレンツェの知的生産性飛躍の時期と契機
- ダンテの作品における「家」の意味(1) : 「どこの家にも骸骨がある」 サッカレーの言葉
- ダンテの作品における「家」の意味(2) : 「どこの家にも骸骨がある」サッカレーの言葉
- ジョヴァンニ・モレッリ『家族の記録』
- 『神曲』と中世における文学享受方法の三つの型
- 資料紹介 コマッキオ論争の主要な文献について
- L.A.ムラト-リの『イタリア年代記(Annali d'Italia)』に関するノ-ト その3-中世-
- L.A.ムラト-リの『イタリア年代記(Annali d'Italia)』に関するノ-ト その2-古代および中世-
- ノヴェッラの証言 -三大ノヴェッラ集より見た中世フィレンツェノ特殊性-(その2)
- L.A.ムラト-リの『イタリア年代記(Annali d'Italia)』に関するノ-ト その1-古代-
- 18世紀の文学辞典より見た中世,ルネサンス,近世フィレンツェの知的生産性と「家」
- L.A.Muratori とイタリア詩の伝統(二)
- L.A.Muratori とイタリア詩の伝統(一)
- ジョヴァンニ・ドミニチの『家政の指針』における「家」と教会
- L.B.アルベルティの『家族論 (Della famiglia)』と「家」の理想像
- 寡頭政下フィレンツェの一政治家の生涯とその「家」 -ボナツコルソ・ピッティの『年代記』について
- ドナート・ヴェッルーテイ (Donato Velluti) の『家族年代記(La CronicaDomestica)』について その(二)
- ドナート・ヴェッルーテイ (Donato Velluti) の『家族年代記(La CronicaDomestica)』について その一