ミラーと文学
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概要
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我々はミラーの作品を前にして二つの罠に陥るのを避けねばならない。それは「同一性」と「解釈」である。「同一」は我々の錯覚であり,それの所産である「解釈」の罠に我々はよく陥るのである。まずこの点を確認しておく。さて,我々の考えるモラルとは,一般に禁欲主義的なものであって,生に対立する生を理性が作っていることに起因する。ミラーにおけるモラルはスピノザ的であり,「理性」が「身体」を超えることはない。「生」は常に「身体」を超えたところにある。ミラーのニヒリズムはニーチェによるものだが,生の可能性を追求するミラーのニヒリズムは理性により生を抑圧する否定的,反動的なものではなく,反動的ではあるが肯定的なものである。『北回帰線』のタイトルのイメージは「毒」であると一般には考えられているが,ミラーにとってCancerは二義的であって,特に***スとしてのCancerのイメージを彼が持っていたことに注目しなければならない。
- 富山大学の論文
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