陳沂及其『憶昔』四首
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概要
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陳沂とその『憶昔』四首Chen Yi and His four "Reminiscent Poems"この論文は、一陳沂の略伝・二『拘虚集』と『憶昔』四首の二章からなっており、かつて拙稿『讀文徴明自書詩巻』(『国際文化論集』第十七号)における陳沂(一四六九〜一五三八)に関する論考を増補したものである。第一章の陳沂の略伝については、顧〓の『明故山西行太僕卿石亭陳先生墓志銘』に基づきながら、新たに考証・補訂を行い、特にいままで判然としなかった『憶昔』四首の作詩年月や致仕の時期などを、できる限り明らかにした。つまり『憶昔』詩は、陳沂が「大禮」の議において当時の権勢者張〓にさからったため一五二七年十一月に江西へ左遷されてから、文徴明がその詩に次韻した一五二八年の間に作ったもの、と推測される。また山東在任中、再び張〓の政策に反対したため、山東からさらに山西へ左遷されるのに際し、陳沂はついにすべてを悟ったかのように致仕したのである。この時期は一五三三年十月から一五三五年二月までのことと考えられる。第二章においては、台北中央図書館で陳沂の詩集『拘虚集』を発見し、その『憶昔』四首を復原した過程について述べ、さらに文徴明の次韻と比較しながら、陳沂の翰林院に対する惓々たる愛惜と「一たび夢自り回り天は万里、長安は空しく塞鴻の飛ぶを見る」という表現に見られる錯綜した心情を究明した。なおこの論文は一九九七年度の海外研習における研究成果の一部である。ここにおいて、教授会の同僚はじめ、海外研修の機会を与えて下さった方々に深謝の意を表したい。
- 桃山学院大学の論文
- 2000-03-31
著者
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