阮籍仕宦考
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概要
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本論文は、『三国志』・『晉書』の正史をはじめ、阮籍自らの著作や『世説新語』及びその注に引用された諸々の資料に基づき、いままで史書に明示されていない阮籍の歴任した官職の年月を考証するものである。この考証によって、阮籍の生涯が一層はっきりするとともに、唐代に編集された『晉書』の誤った記載も明らかにした。しかし一七〇〇余年も昔のこと故、すべてを解明できたとは言い難いが、現時点では最も精確な結論に達したと思う。いまここで本論文の考証によって得られた結論だけを次に記しておこう。阮籍が「吏」として蒋済に招かれたのは二四二年、三三歳のときである。これは阮籍の最初の仕官である。その後、三九歳(二四八年)のときに「尚書郎」となり、そして同じ年に曹爽の「参軍」として招かれたのである。曹爽が失脚した後、阮籍は司馬懿によって「従事中郎」を命じられている。この任期は恐らく正始十年(二四九)三月から司馬懿の死した嘉平三年(二五一)八月までであろう。司馬懿の死後、阮籍は続いて司馬師の「従事中郎」に任じられ、正元元年(二五四)十月「散騎常侍」に移るまで、その任にあったと考えられる。そして自ら「東平の相」を求め、三たび「従事中郎」となり、「歩兵校尉」となったのはすべて司馬昭の執政の時代であり、二五五年二月から二五八年五月まで、つまり阮籍の四六歳から四九歳の間のことである、と史料によって推測するものである。
- 1995-01-30
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