アリオストの1532年1月15日付マントヴァ公宛書簡
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概要
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序 1993年にIL MULINO社から出版されたAlberto Casadeiによる『フリオーソ』研究IL PERCORSO DEL FURIOSOは、Giornale Storico della Letterature Italiana誌の書評(執筆者Giorgio Masi, Fasc.561, pp.135-43)においても、著者の極度に客観的かつ厳格な帰納法的研究態度が時としてmovente storico-biograficoを背景に押しやり過ぎるきらいがあるものの方法論的にも見事な研究であるとしておおむね絶賛され、特にCinque Canti(以下、CCと略す)と1519年10月15日付の有名なマーリオ・エクイーコラ宛書簡に見出される"poco di giunta"なる表現との関係を取り扱った巻末のAppendice I(pp.175-92)で展開された論証は、"esemplare"(p.142)とまで評価されている。実際、当然のこととは言えイタリア本国の研究水準の高さには筆者も感銘の念を禁じ得ない。しかし、この書評でも取り上げられたAppendice Iには、それが直接取り扱っている1519年10月15日付のエクイーコラ宛書簡とCCの関係という問題に関連して、1532年1月15日付のマントヴァ公宛書簡とC版付加エピソードとの関係にも言及した箇所があり、かねてより筆者が関心を寄せている問題とのつながりが深いうえ、筆者とは見解に大きな相違があることから、これを出発点としてC版『フリオーソ』の出版を目前に控えたこの時期におけるアリオストの創作活動について筆者なりの考察を加えてみたい。なお、本稿はCasadei説に反論を加えることを目的とするものではなく、C版付加エピソードの創作過程を復元・再構成することにより、『フリオーソ』のあり方に対するアリオストの基本姿勢を探ろうとする計画の一部をなすものであり、そのためのアプローチのひとつとして1532年1月15日付マントヴァ公宛書簡の記述の分析と、その内容に含まれる問題点の確定とを当面の課題とするものである。
- 1998-10-20
著者
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