イッポーリト・ニエーヴォ 田園小説と農民問題
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概要
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カルカーノの≪アンジォロ・マリーア≫が出版されたのはG・サンドの最初の田園小説に遅れること七年、一八五三年のことであった。イタリア最初の田園小説≪アンジォロ・マリーア≫がミラノ人カルカーノに依るものであったことは偶然ではない。「ミラノを語ることはマンゾーニを語ること」だとされていた当時の文化状況を考慮するならば、カルカーノのこの小説が如何なるものか想像に難くない。農民に寄せる博愛的な人間愛とルソー的な自然人への賛美、自然のもとで働き、その労働からの恵みを享受する慎ましやかな自足の生活、こうした表現がG・サンドの田園小説の農民の特性とされるならば、マンゾーニから学んだ「貧しき者」に寄せる共感と同情を色濃く伝えるカルカーノの田園小説と、そのモデルとなったサンドのそれとの相違は-もしあるとするならば-貧者に寄せる人間的・社会的関心の濃淡の相違と言っても過言ではあるまい。ロンバルディアに生まれた田園文学はヴェネトに豊かな土壌を見出す。ペルコート、ニエーヴォ、コデモと続くヴェネトの田園文学の系譜はカルカーノ風のかなり濃厚に牧歌的色彩を残す田園小説から一八七〇年代の初期ヴェリズモにつながるコデモの濃民小説に至る田園小説の発展過程の総ての経過を含むものと思われる。イタリアのサンドとよばれたペルコートがフリウーリ地方の農民、田舎司祭、肉体労働者など、最も貧しい地域の最も貧しい人々を主題とした現実的な農村小説によってその文学活動を開始した時から、ヴェネトの田園文学はカルカーノ風田園小説の域を越えて農民小説への変質を迫られることとなったのである。ヴェネトの田園文学の系譜は牧歌的田園小説から現実的農民小説への変遷の系譜であるとともに、矛盾する二つの傾向-牧歌的・現実的-の間を揺らめきつつ、試行錯誤を重ねて徐々に現実への傾斜を強め、やがて現実的な農民小説に至る紆余曲折の経過を辿る長い系譜でもある。本稿ではイッポーリト・ニエーヴォに焦点を合わせ、彼の初期の田園小説から千人隊の一員として故郷をあとにしたとき筐底に残された未完小説≪魂のいさりびと≫に至る田園小説に言及し、ニエーヴォのその間の揺らめく心情とイデオロギーと、牧歌的・叙情的傾向との間に曲折する彼の作品の矛盾を指摘し、如何にして≪魂のいさりびと≫に辿りつくかを明らかにする所存である。ニエーヴォの文学は彼の文学活動開始の時期とほぼ時を同じくするかなり早くから定まった指向性にもとづいて発展を遂げる。すでに早く一八五四年の≪イタリアにおける市民・民衆的詩の研究≫において新しき文学はほかならぬ民衆の要望に応える使命を担うものであることを力説し、古代から十九世紀に至るイタリア文学の系譜を辿り、ダンテを頂点とする現実文学に民衆的文学の範をもとめたニエーヴォは、当代の文学にダンテを継承する民衆的文学の欠如を嘆き、未来の文学のヴィジョンは当然ダンテの伝統-現実的・民衆的文学-に準拠しなければならないとした。処女詩集≪ヴェルシ≫に始まる作品群は彼が自らに課した宿題の、いわば文学上の実験の成果と見做すことが出来よう。≪イタリアにおける市民・民衆的詩の研究≫においてニエーヴォが明示した意図に文化状況としてのカルカーノ、ペルコートと続くミラノ、ヴェネトの田園小説の流れを重ね合わせてみるとき、ニエーヴォの目差す文学が如何なる指向を示すかは容易に推察されるところであろう。一八五六年、ニエーヴォは一連の田園小説をミラノ、ウディネの諸誌に発表する。先に≪イタリアにおける市民・民衆的詩の研究≫において民衆のエネルギーを吸収し、そこから生れる活力を文学創造の活力としてやがてその成果を問うことになろう、と示唆していたその成果の一端がこれから述べようとする一連の田園小説なのである。ニエーヴォがこの田園小説集に託した文学上の意図が如何なるものであったか、当時流行の田園小説の枠を如何に越えようと望んでいたか、彼自身の言葉から汲みとっていただきたい。次の引用は田園小説集第二作≪セグリーノの狂女≫の出版を拒絶した編集者ランプニアーニに対する遺憾の意を、友人フシナートに伝えた書簡の一節である。「私は目下、ホメロスとわれらの農民の研究を続けている。この二つは全くプリミティブで、両者の類似性をどうしたら君にお伝えできるものか迷っています…こうした点から私は一冊の小説を生み出したいと思いつきました。それはランプニアーニが何と言おうと農民的であって断じてカルカーノ風のものとはなりますまい」思うに「彼(カルカーノ)が描く社会は見せかけと都合主義の社会である、と言うのは彼の人物達は天使でもなければ悪魔でもない、また人間でもないのです。三つの性格の折衷にすぎません。彼の思想はと言えば…富者の嘆き、貧者の心の広さ、悪と善…ただそれだけなのです。同じテーマをもとにした文飾の
- 1979-03-03
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