娘から見た巫堂の世界 : ある在日コリアン2世ハルモニの語り(上)
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概要
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朝鮮半島文化のシャーマンである巫堂(ムーダン)を生業として母親をもつ、ある在日コリアン2世の女性からの聞き取り。語り手のライフストーリーのうち、本稿では、娘の立場から見た「巫堂の世界」に焦点をあてる。中村幸子さん(仮名)は、1935年大阪生まれ、聞き取り時点では日本国籍を取得している。母親は、遠方からも客が訪ねてくるほどの有名な巫堂だった。語り手は、子どものころから、乳飲み子の弟妹たちの子守り役として、頻繁に、母親の祭儀についてまわり、その仕事を間近に見てきた。また、母親に巫堂の力を与えた「神さん」の世界のありようや、祭儀の手続きがもつ意味、「神さん」と人間のあいだに立つ巫堂の役割などについて、語り手は、成育の過程で繰り返し、母親からの説明を聞いている。さらに、語り手自身、「神の使いが降りてきて造花がしゃべった」「息子の交通事故を母親が事前に教えてくれた」不思議の体験をしている。その意味で、母親だけでなく、語り手本人もまた、巫堂の世界観を生きてきた一人である。本稿は、亡くなるときまで「巫堂」をまっとうした母親の姿を、まさに巫堂の世界観に基づいて伝える、娘による物語りである。数々の不思議の出来事が語られるが、語り手のストーリーテリングの能力は高く、ひとつひとつのエピソードの情景が、まるで昨日の出来事のように鮮やかだ。そのなかで、巫堂の「拝み」は、けっして人間の思いどおりに現実を動かすようなものではなく、あくまでも、「神さん」の声を聞き、「神さん」を怒らせている原因を取り除くことで、人間世界に起きている障りを小さくしようとするものだとされる。母親から伝えられた知識や解釈が随所に散りばめられているこの物語りは、その受け手(聞き手/読者)がたとえ巫堂の世界観を共有していなくとも、その世界観を生きる人々がたしかにいる(いた)ことを、了解させる力をもっている。巫堂の世界観を伝える口承伝承ともいえるだろう。なお、「ある在日コリアン2世ハルモニの語り(下)」では、「帰化しても気持ちは朝鮮人」と題して、語り手自身の生の軌跡に焦点をあてて報告する予定である。
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