「らい予防法」体制下の「非入所者」家族 : ハンセン病問題聞き取り<調査ノート>
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概要
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この調査ノートは,「らい予防法」による「隔離政策」が貫徹していた時代に,ハンセン病を発症しながら,「ハンセン病療養所」に入所することなく生涯を終えた女性を母親にもつある男性のライフストーリーである。TM さんは1945 年生まれ。1956 年ごろ,母親がハンセン病だとの噂が地域社会に広がり始める。1959 年4 月,TM が中学2 年のはじめ,母親は「親戚会議」の決定に従って,「ハンセン病療養所」への入所を回避して,鳥取県から大阪に移住。阪大病院の「らい部門」での外来診療に通院することとなる。4 人の兄と1 人の姉が「逃げて」しまったあと,TM はひとりで母親の面倒をみる。9 年間の大阪暮らしのあと,阪大病院の外来治療に見切りをつけて,母とTM は鳥取県に戻る。TM は出稼ぎをしながら母親の生活を支える。1985年,母親が脳梗塞で倒れ,老人ホームに入所。ここで露骨な差別的扱いを受ける。この時点で,TM は,母親に「よかれ」と思って,「非入所」の生活を支えつづけてきたが,むしろ,ハンセン病療養所に入所させていたほうが母親の老後は幸せだったのではないかと,価値判断の大転換を体験する。このときから,そして,母親が1994 年に亡くなった後も,保健所や県庁を相手に,「らい予防法」に従った適切な対応を怠ってきた責任を執拗に問いつづける。まともに相手にされず,けっきょくは,2003 年,「こまい鉈」で県職員を殴打し,「殺人未遂事件」として刑事事件の被告とされ,「懲役3 年の実刑判決」に服した。TM の“非入所よりはハンセン病療養所に入所していたほうが,母は幸せだったにちがいない”という言説,“行政職員が「らい予防法」に従って適切な対応をしなかったのは問題だ”という言説,そして,“阪大病院のハンセン病治療は,患者家族の経済的立場を十分に考えておらず,治療内容も患者とその家族に十分な説明のないままの診療実験にすぎなかったのではないか”という言説は,2001 年の熊本地裁判決,その後の「ハンセン病問題に関する検証会議」の『最終報告書』(2005年)などによって積み上げられてきたハンセン病問題をめぐる現在の共通理解とは,一見対立するかのようである。しかし,わたしたちの理解によれば,TM の語りは,「らい予防法」体制下の「強制隔離政策」というものは,たんに,当事者の意思にかまわず強制的にハンセン病療養所へと患者を引っ張ってきて閉じ込める《収容・隔離の力》だけでなく,社会のなかに患者とその家族の居場所を徹底的になくして,ときに,患者みずからに,あるいは,患者の家族に,療養所への入所を望ませさえする《抑圧・排除の力》をもつくりだすことによって,はじめて機能していたということ。非入所を貫いたということは,この後者の《抑圧・排除の力》を長年にわたって浴びつづけたことにほかならないこと。それへの憤りが,母親の老人ホームでの差別的扱いで一挙に噴出したことをこそ,雄弁に物語っていると読み取れる。TM の語りは,ハンセン病療養所に「強制隔離された生活」が人権を根こそぎ剥奪された生活だったとすれば,「非入所者」としてハンセン病療養所に入所せずに社会のなかで暮らしつづけることも徹頭徹尾心のやすらぎを奪われた生活であったことを,鮮明に物語っているのだ。
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