今年の終りの陽の光 : 宮沢賢治「風の又三郎」論
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概要
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「風の又三郎」は、村への転入者である高田三郎父子が体現する<近代>への反発の物語という方向で近年、研究が進められてきた。本稿では<村の文化><子供>をキーワードに本作を読み解き、「風の又三郎」が、<子供>が<大人>になりゆくその境において、異質世界との接触を通じて、再び、よりプリミティブな<子供>の世界へ戻っていく物語であることを明らかにした。テクスト中の言葉をかりれば、「今年の終りの陽の光」の輝きを<子供>に与える物語といえよう。<村の文化>は異質な世界、未知の世界を豊かにもっている。それに触れることで高田三郎は<子供>の世界を生きた。一郎や嘉助もまた、高田三郎=風の又三郎という異質な存在に触れ、その存在を信じることで<子供>の世界を生きた。そうして輝く<子供>の世界は、本作が書かれた時代状況に照らしてみると、凶作や農村不況の現実世界に対するアンチテーゼとして書かれたことが理解される。
- 2011-02-28
著者
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