学校を基盤とする福祉的サーヴィスとその制度化をめぐって : 米国におけるvisiting teacherの経験を中心に(<特集>教育・福祉・労働-ボーダーレス化の中での教育学の役割)
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概要
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本稿は20世紀初頭から第一次大戦までの米国・ニューヨーク市におけるvisiting teacherの誕生から制度化までの過程を分析、考察したものである。草創期のvisiting teacherはニューヨーク市公教育協会という民間団体が中心となり、学校と家庭・地域との結び目の役割を果たすなど大きな意義を持ったが、労働条件の改善や職務の安定化をはかるため、教育委員会による雇用体制に移行した。それにより職務内容や資格要件も規定され、一連の制度化の中で初期の活動は変貌していった。こうした検討は、近年の日本におけるスクールソーシャルワーカー予算化の行方を見極める上でも示唆的である。
- 2011-06-30
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