宗教的利益観についての研究 -『教行信証』を中心として-
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
今回は京都大学で行われた第六十三回日本宗教学会において発表した、宗教における利益観の中でも真実を求めて求道した親鸞の利益の考え方を求めたものである。親鸞の利益観を最も顕著に表された著書『教行信証』を中心として考察する。 宗教的利益といえば占いとか呪術(呪文)による超自然的力と自己の願望による願いと行為によって得るものと捉えられていることが考えられる。しかし、その利益は利益の真実性を示すものと考えてよいものであろうか。利益は人間の願望のうちに成り立つものであるが、何か不自然さを感じるのである。人間の利益に対する考えは何か穢れた捉え方をしているように考えるのである。そこで、宗教的利益を如何に捉えるべきであるかについて、親鸞に問うことにするのである。 親鸞の『教行信証』を見るに、この書は真実を顕すと示されている。仏教(佛)の教・行・証を示す重要な論点を示すものである。そこで、絶対者の示す利益とは衆生の救済を抜きにしては考えられない。親鸞は三経七祖の流れを受けて利益について究明されている。 『教行信証』の教巻の冒頭に「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」と示され、仏の願心から回向された利益であることを明かされる。この書全体が絶対的利益観を示すものであることを親鸞は考えていたようである。故に、証巻の四法結釈に「それ真宗の教行信証を案ずれば、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因、浄なるが故に果また浄なり。知るべしなりと。」と示し、利益は仏の願心から回向される因果の道理にそったものであることを明かされる。 世間的利益は衆生の願心から願う行為であるが、真実の利益は絶対的願心から与えられる利益であることを明かされている。
著者
関連論文
- 宗教的利益観についての研究 -『教行信証』を中心として-
- 『教行信証』における戒律と倫理
- 宗教的存在観についての研究 : 親鸞の仏身仏土観を中心として
- 宗教と科学の関連性における一考察 : 親鸞著『教行信証』の真実性をふまえて
- 宗教的真理についての研究--『正信偈』を中心として
- 宗教的「祈り」についての研究 : 『教行信証』を中心として
- 『教行信証』「教巻」について
- 『教行信証』に見られる親鸞の道教観
- 情報化教育における一視点
- 宗教的回心の考察--教行信証を中心として
- 宗教的真理観についての研究--親鸞思想を中心としての考察
- 宗教的生についての研究--『教行信証』を中心としての考察
- 宗教的救済観についての研究 -『教行信証』を中心としてー
- 『教行信証』における還相回向について