『教行信証』における戒律と倫理
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概要
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今回はテーマの趣旨を「戒律と倫理」とし、宗教・仏教の戒律と倫理の接点はどこにあるのかということが私の思いであった。今まで、『教行信証』を中心に研究している故に、この著述の中で戒律と倫理についてどのように捉えられているかについて考察し、その中で両者の整合性を考察することにする。親鸞は戒律に関しては道綽の『安楽集』と最澄の著いわれる『末法燈明記』によって戒律の是非を問うている。正法・像法・末法の三時において、特に末法の時代は戒律・修行は意味を持たないことをこの書物から理解されている。戒律は衆生の内観から律するものであるが故に、衆生の内観が戒律に及ばないことに気づかれるのである。また、倫理観に関しては『無量寿経』・『涅槃経』によって衆生の善悪についての根本的見解を捉えられる。それは自身が悪心から抜け出ることの出来ない身であること。それは無慙無愧の身である。故に、『歎異抄』に悪人正機説を示される。そのことは、宗教的世界観における立場の告白でもある。それは根本的内観に気づかされる面から生まれる善悪と考えられる。故に、親鸞の倫理観は世俗的倫理観とは異なる宗教的絶対的倫理観の中で捉えられていると考える。戒律・倫理には一部では共通な面が捉えられるようである。この両者を見つめれば戒律は宗教的世界観の中にあり、倫理は世俗的世界観の中にあると考える。また、絶対的世界と相対的世界のなかで捉えられるものと考える。
著者
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