宗教的「祈り」についての研究 : 『教行信証』を中心として
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概要
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今回、宗教的「祈り」としてタイトルを考えたことは、ある宗教学者が「祈り」が宗教の核心で、祈りなくして宗教は成り立たないと述べられたことに疑問を感じたからである。宗教の中で「祈り」をぬきにして考えることはできないということは一般的に全ての宗教にあてはまるように考える。しかし、それが正しければ宗教の本質は祈願であると言われても否めない。祈願ということを中心に考えれば、宗教の真実性が問われ、偽りの面が多々あると考えられても反論できない。故に、宗教の本質とは如何なることであるかについて考察していくものである。そこで、「祈り」の言葉を通し、宗教者の中で「祈り」の文言について厳しく注意されている親鸞の考えに注目し、主著である『数行信証』を通して、「祈り」の捉え方、及び宗教の本質について問うものである。
- 九州情報大学の論文
- 2005-03-22
著者
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