アイデンティティ形成のための音楽・芸能 : ハンガリー、スロヴァキアのロマ調査を通して
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概要
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本論文では、1989年の体制転換を経て、その後、拡大EUに加盟した中央ヨーロッパにおいて、複数の国に分散して居住するエスニック集団であるロマが文化を自らの拠り所として伝承し、かつ外部に向かってさまざまに発信してアピールしようとするさまを、1)ロマが音楽や芸能によってその存在が知られていたことを逆手にとり、音楽や芸能を通して自らのアインデンティティを訴えようとする様子、2)音楽や芸能を通して地位を築き、社会においても認知度の高かったひと握りの音楽家や芸能者が"無名の"ロマたちの代弁者となる様子、3)新旧のメディアを通して音楽や芸能、さらにはロマたちの地位改善などを発信しようとする様子、4)変化する環境の中で、音楽や芸能を伝承し、非ロマに対してアピールしようとする様子、5)時代の変化とともに顧みられることの少なくなったジャンルに異なる形で取り組もうとする様子、という五つの視点から考察した。調査対象地はハンガリーとスロヴァキアである。 ハンガリーでは、音楽活動を通して名を成した人物が設立した専門学校におけるロマのアイデンティティ教育の様子、音楽的伝統の伝承の実態、メディア教育の重要性、衰退しつつあるジャンルへの新たな取り組みの様子を考察することによって、長くハンガリーの音楽文化に根付き、認知されてきたロマたちの現在を探った。 一方、スロヴァキアは筆者が継続的に調査を行っている対象地ではないため、ロマの置かれた状況を文献資料によって跡付け、その上でロマが多く居住する東部地域でその音楽のサンプル調査を四つの地点で行った。これと並行して、東部の中心的都市コシツェにあるロマの劇場ロマタンと、ロマの専門教育を行うコシツェ芸術中等学校への訪問調査も実施した。ほぼ同時期に設立されたこの二つの機関は、共通の音楽的基盤に立っていることもあり、人材提供という面で相互に有機的に関わりながら機能することが可能になっている。しかし、このいずれにおいても、扱われている内容については、スロヴァキアのロマのサブグループの実情に即しておらずに偏りがあることも考察された。また、二つを実質的に監督する立場にあるのが、世襲の音楽家の家系に連なる兄弟とその家族であり、そのことがこうした偏りの原因の一部となっているのではないか、と推測された。 ハンガリーと1000年にわたって歴史を共有し、ロマの音楽的伝統は重なり合う部分が多いと見なされてきたスロヴァキアには、地域ごとの歴史や民族構成に応じて形成されてきた多様で複雑な音楽文化があるが、その豊かな伝統がロマの劇場や専門教育のカリキュラムなどに採り上げられることなく、地域によってはほとんど消滅しかかっている。世界の人権機関から再三にわたって指摘されてきたロマに対する差別構造や無関心が改善されないため、彼らの音楽・芸能に対する認識も低く、依然として心理的な距離が埋められていないことが本調査からも跡づけられた。
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