全国連合小学校教員会の固有性-帝国教育会への加盟と脱退-
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
全国連合小学校教員会(全教連)は,1937 年の第7 回世界教育会議の準備過程において,その主催者である帝国教育会(帝教)に加盟した。ただし,加盟後において,帝教の一員であることはほとんど公言せず,帝教への「協力」団体として自らを位置づけていた。国民精神総動員運動にともなって教育団体統合の機運が高まるなかで,帝教に吸収統合されることを危惧した全教連は,現職教員の組織としての固有性を主張しつつ1941 年に帝教から脱退した。しかし,同時期には,各地において教育会を核とする教育団体の統合がすすめられており,統合の結果として新たに発足した教育報国会等に小学校教員会(国民学校職員会)が吸収されることによって,小学校教員会が組織解消となる事態も生じつつあった。これは,全教連の基盤が揺るがされることであり,全教連は改めてその固有性を問われることとなった.
- 2008-12-20
著者
関連論文
- 全国連合小学校教員会の固有性-帝国教育会への加盟と脱退-
- 『綴り方倶楽部』の研究 (1) : 発行状況の確認を中心として
- 『山芋』顕彰碑建立の問題についての一考察
- 雑誌『教育報国』の創刊に関する研究
- 全国連合小学校教員会の成立
- 『児童文選』とその後継誌についての研究
- 綴方学習雑誌『綴方○年生』の研究