雑誌『教育報国』の創刊に関する研究
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概要
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全国連合小学校教員会の機関誌『教育報国』は1935(昭和10)年11 月に創刊された.その創刊企画は,1935 年5 月の第12 回総会で協議されたものの決定には至らず,その決定は代表委員会に委ねられ,同年6 月の第17 回代表委員会において決定されたものであった.その間の経緯をみると,第12 回総会では当初から予定された議題ではなく追加議題として提案されたものであること,第17回代表委員会では発行が既定のこととして提案されていることなど,組織的な協議が簡略化されたままに事態が進行していることがわかる.『教育報国』創刊の推進者は,全国連合小学校教員会の役員ではないままに上沼久之丞会長の下で庶務を担当していた中澤留であった.そして『教育報国』の編集部は,主幹が役員ではないままの中澤,委員は全国連合小学校教員会の理事3 名という変則的な構成であった.『教育報国』創刊から半年後の1936 年5 月には,中澤が全国連合小学校教員会の会長に就任するということとなる.中澤は,会長就任後も引き続き『教育報国』の主幹の座にあった.「教育報国」は,機関誌名であるとともに,戦時下における全国連合小学校教員会の活動の旗印となっていくこととなった.
- 文教大学の論文
- 2006-12-20
著者
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