「考えさせる教育」について考察するための覚書 : 行為とコミュニケーションの視点から(学校での「自分で考えさせる教育」をみんなで考えよう)
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概要
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考えるということは、行為の中断によって生じる。生命体としての行為の継続のために必要なのが「思考」を通じた反応である。この中断状況は危機と呼ばれる。危機は、自然環境から訪れるものもあれば、社会的関係からもたらされるものもある。社会的関係においては、暴力が究極的な社会統制の手段である。しかし、他方、私たちの社会は、暴力を封印し、行為の中断を引き起こす可能性のある要素を排除し続けている。これは、より安全で安心な社会をめざしてきた努力の結果である。実は、このことが危機にリアルに対面する能力を形成することから私たちを遠ざけてしまっている。私たちの社会(若者に限定することはない)が「考えること」から遠ざかっているとしたら、そこにはこのような社会的な「進化」が背景にある。しかし、危機が後景化した社会が、危機への対応力を形成できないとすれば、その社会は、非常に脆弱なものになる。そこに教育の意義があり、生身の教師の存在と場の重要性がある。
- 2008-03-04
著者
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