有賀鐵太郎とカール・バルトにおけるEx.3,14f. : 有賀鐵太郎とカール・バルトの神学体系におけるEx.3,14f.の位置
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概要
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筆者は既に有賀鐵太郎における学問構想としての「ハヤトロギア」の解明を目指し(1998年b),このハヤトロギアとの関連で,現代の宗教哲学(C.H.ラーチョウ,1998年c),現代の旧約神学(W.ツィンメリ,G.v.ラート,H.シュミット等々,1999年)及びK.バルト,それぞれにおける出エジプト記3章14説以下の解釈を跡づけた(1997年,1998年a)。これらを前提に本論では,有賀鐵太郎とK.バルト,それぞれの,出エジプト記3章14説以下の解釈を要約整理し,両者による同箇所の解釈の共通点と差異を明らかにすることを試みた。有賀とバルトの同箇所の解釈の特質を以下の5つの観点から要約した。有賀の解釈(§1)においては,(1)神学的・解釈学的構想,(2)「論理の中断」,(3)ハヤトロギアからハヤ・オントロギアへの移行,(4)ハヤ・オントロギアにおける歴史的思惟,(5)ハヤトロギアとキリスト教神秘主義。バルトの解釈(§2)においては、(1)神の自己啓示,(2)神の自己啓示と神の述語づけの可能性の問題,(3)三位一体論との関係,(4)契約史との関連,(5)黙示録第1章8節との関連。同箇所へのギリシャ存在論的・実体抽出的解釈の適用は,v.ラート,ラーチョウ,ボーマン,ド・ヴォー等においてと同じく,有賀,バルト両者によって拒否されている。有賀においては,旧約から新約への移行において生起する「論理の中断」に注目してはいるが,同箇所は,キリスト教思想史のための神学的・解釈学的方法論を一般的に保証する箇所として捉えられている。これに対し,バルトにおいては,神学的思惟の方法を読み込むべき箇所としてではなく,同箇所は,おもに契約史という文脈から多様に解釈されている(§3,3.a)。また,バルトにおいては,その啓示中心主義の故に,神秘主義的啓示理解は,人間的なものと神的なものとの,悪しき意味での同一化であると否定的に評価されるのに対して,有賀では,オントロギアとハヤトロギアの接触が生み出す必然的な啓示認識であると積極的に評価される(§3,2)。また有賀においてはハヤトロギアの妥当性は,ユダヤ教アポカリュプティクがイエスの死によって限界に達するとともに喪失され,同時に,プネウマトロギアのデュナミスによってハヤ・オントロギアとして再生せしめられる(§3,3,b)。このようなところから見ても,有賀のEx.3,14 f.解釈は,おもに啓示と理性の関係という問題意識から導出されているが,バルトにおいてはこの啓示と理性といった対立は主要関心事ではなく,理性は常に啓示を前提とした神学的理性として捉えられている。この結果,哲学と神学との関係といったテーマ群は,有賀においてはニュッサのグレゴリオスに見られるように弁証法的に捉えられているが,バルトにおいてこの問題は,非弁証法的でありノミナールな設問にとどまる(§3,3,c)。概して,有賀においてはキリスト教思想史解釈の解釈学的原理として方法論への関心が強く,バルトにおいては,随所でEx.3,14 f.に関する解釈を提起しているが,その解釈は契約史という地平からなされて,同箇所への一定の解釈の姿勢は見られない(§4,§5)。
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