朝鮮慶尚北道聞慶郡、醴泉郡、尚州郡其他の新羅時代建築を論じ、併せて本道内新羅時代建築の一般性に及ぶ
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概要
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著者が日本學術振興會の援助の下に昭和8年夏實施せる朝鮮慶尚北道新羅建築の研究調査報告中、聞慶其他諸郡の建築報告を兼ね、併せて既に發表された各部の新羅建築をも參酌して慶尚北道に於ける新羅時代建築の綜合的研究を試みたものである。各部の報告中、特に聞慶郡は山間に僻在する郡であるが國家的關道に沿ふ故に、鳳巖寺の如き技藝的に第一流のものを出したるを特説し、其の三重塔、浮屠等を始めて紹介し最も完備優絶するものとした。金泉郡葛項寺塔の比例が上記の塔の比例に酷似し、且つ慶州南山寺塔の比例とも共通する所あるも注目すべき現象である。綜合的結論に於いては、先づ首都慶州が建築の大中心であるに對し一中心を成すのは安東で其の四域の建築にも其の影響を及ぼし、慶州系様式と中間の義城附近で衝突混和し、又、慶州様式に王命其他の事情で遠隔の地方に飛んで小中心を爲すこと浮石寺、鳳巖寺、葛項寺等とする。建築の優劣を論ずれば、慶州直系の者は如何に山中にあるものとても些も慶州建築に劣るなく、時には新羅末期に到るも衰滅の傾向無く、又、安東様式は恐らく經濟的乃至宗教政策的に惠まれて巨大優劣なるを出し、中期より末期、高麗時代に到る迄盛に造營されたが藝術的には衰退の現象を來したと見る。要するに、昭和8年度の研究に於いては、所在は知られるが未だ曾て專門的に調査を經なかつた多くの建築を學界に發表し、之に關聯して新羅建築史學に於ける數箇の新問題を提出して之を論結し、新羅建築の人文地理的に見た動きを辿つた所に其の收獲と新研究法の提案があつた譯である。
- 社団法人日本建築学会の論文
- 1934-08-05
著者
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