イタリア語論
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概要
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イタリアは日本と驚くべきほどの類似点を有している。まづ第一にそれは北半球において日本とほとんど対蹠的な位置に位し、長くて狭い、山岳地帯にとむ半島として、日本とたいそう似た形態を示している。そのためであろうか、ナポレオンは『イタリアは長すぎるし、狭すぎるから、地理的な誤繆である』といったのだった。そしてイタリアも日本も火山国であり、しばしば地震に見舞われる。そしてその総面積を較べてみてもイタリアは(第二次大戦の結果領土をかなり失ったが)三〇一、二二四平方キロメートル、日本は三六九、六六二平方キロメートルである。それ故、両者とも狭隘の地に多くの人口を擁し、それらの人に食を与えるという深刻な問題を抱えているが、その点では九千七百万人の人口を有する日本の方が、五千三百万人の人口を有するイタリアよりもいっそう深刻である。人口の密度はイタリアは一キロ平方メートルに一七七人であるのに対して、日本は二六三人である。これらを一平方キロメートルに一〇人しか住んでいないソ連と比較すれば、その差がはっきり分るであろう。私は一昨年の夏、一人の親切な日本婦人とともにヴェネツィアを訪問した際に、私がこの文化の高い島では、どんな小さな地面でも利用しなくてはならないといったのに対し、彼女は日本でも同様であると答えた。同じような日伊の類似を私は歴史の上にも指摘することができる。まずローマ国家は国家への献身、法律の尊重などの感情の上や行政と軍事の責任を厳格かつ有徳な貴族階級にゆだねるという厳格な身分制度の上に基礎を置いて成立っている。このような根本方針にもとづいて、ローマ国家は地中海沿岸の全地域と北方及び東方の数個の国を征服し、それらの地域にこれらの法律と秩序を与えたので、遠隔の地と雖もローマ帝国の一部であることを誇りに感じたのであった。これらの規律と服従の感情が薄れ、貴族階級が徳性と権力を失った時、ローマ帝国は迅速に衰退し、ついに滅亡したのであるが、これはヨーロッパ文明にとっては一大損失であった。私は私の父がローマ人の生活がその上になりたっていたローマ法を研究した際に、しばしばローマ法を日本の法律、風俗習慣、制度などと比較したことを記憶している、そして私の父より以前にも、あの有名な哲学者G・B・ヴィーコがある程度まで類似のことをしたのであった。
- 1970-01-20
著者
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