放浪の詩人ダンテ
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概要
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一三〇二年二十七歳でこころならず亡命生活を初め、一三二一年ラヴェンナで五十六歳で歿するまでその悲しい生活をつづけねばならなかったダンテ・アリギェーリは人生の大半を放浪のうちに過したのであるから、彼を放浪の詩人と呼んでもさしつかえないであろう。もちろんわれわれは別の意味でもダンテを放浪の詩人と呼ぶことができる。それは彼がその代表作「神曲」の中でその主人公として一三〇〇年三月二十五日または四月五日の復活祭の聖金曜日に出発し、地獄界、浄罪界、天堂界の三界を放浪したからである。しかし、私はいま第一の意味での放浪者ダンテを眺めようと思うのである。さて、ダンテが全篇を通じて挙げている地名は四百あるが、同じ地名を二度、三度用いているものもあるので、実さいは地獄篇で百、浄罪篇で約六十、天堂篇で約十五というのが実数である。この数をみても分るように、地獄篇、浄罪篇、天堂篇と現実の地名が次第にすくなくなるのは、この三部作の初めに動物界、自然界、科学界、人間界、自然現象について記しそれから次第に光と音楽の世界へ移るからである。ところで土地の示し方であるが、都市の名前をそのままいっている場合、例えばペスキエラ(地獄篇、第二十歌七〇)の如きものと、その都市を貫流している川の名前であらわしている場合、例えば「シーレ河とカニャン河の合流する地」という言葉でトレヴィーゾをあらわしている場合(天堂篇、第九歌四九)とがある。またときには、その都市の領主の名前であらわすこともある、例えば浄罪篇、第五歌六九で「ロマーニャとカルロの国の国との間にある国」という言葉でマルカ・ダンコーナを指してているのがそれである。そしてあるときは、その地方の方言の特色でその土地を暗示していることもある。例えば、地獄篇、第十八歌六一で「サヴェーナとレーナのあいだでシパといい習った人…」という言葉でボローニャ人およびボローニャを示すのがそれである。同じく、地獄篇、第二十一歌四一で「あそこには……ボントゥーロのほかはどいつも汚職公吏だ」という言葉でルッカ人及びルッカを示しているし、ジェントゥツカという名前で(浄罪篇、第二十四歌、三七)ルッカを示しているのも同様である。またその都市の保護の聖者で都市を暗示している例は地獄篇、第十三歌、一四三のバッティスタによってフィレンツェを示すのがそれである。
- イタリア学会の論文
- 1962-12-30
著者
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