エルザス・ロートリンゲンの住民投票問題
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概要
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1914年の第一次大戦の勃発後,フランス政府は半世紀前にドイツとの戦争に敗れて失ったエルザスとロートリンゲンの二地方の奪還を戦争目的として掲げた。一方, ドイツ政府は両地方がドイツの不可分の領土であり, ドイツ統一のシンボルであるとして,いかなる場合でも返還を拒否した。こうした中,1917年のロシア革命が提起した「無併合,民族自決」の講和原則は,住民投票による問題の解決という議論を活発化させ,特に「城内平和」政策を取っていた各国の社会主義政党の内部に少なからぬ支持者を見出した。しかし結局は, ドイツ残留にせよ,フランス返還にせよ,住民投票反対論が勝利を収め,住民投票は議論の舞台から消えた。
- 弘前大学の論文
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