1918年11月の革命前夜のエルザス社会民主党 : エルザス社会民主党の「民族的」分裂
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概要
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1870/71年の独仏戦争の結果,フランスの一地方エルザスはロートリンゲンとともに,住民の意志に反してドイツに併合された。ドイツ社会民主党は,当初からこの併合に反対し,フランスへの返還を要求した。党は困難な条件下で,勢力の拡大に苦労したが,その後エルザスを含むドイツ全体の政治的・社会的情勢の変化が,社会民主党のこの地での定着を可能にし,それとともに,エルザスの社会民主党のドイツ的性格が強化され,もはやフランスへの返還は問題外になっていた。そして1914年に第一次世界大戦が勃発した時,社会民主党内部で, ドイツ人とエルザス人の「民族的」対立が表面化した。
- 弘前大学の論文
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