1940年代イギリス視覚障害教育改革による大規模寄宿制盲学校の出現とその教育的意義
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概要
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1930年代イギリスでは70校の盲学校が存在し、うち約7割が通学制学校であったが、1940年代後半になると、盲学校数は16校に減少し、そのすべてが寄宿制となる。その背景には、イギリスで初めて障害児教育を通常教育と同じ枠組みに規定し、障害児教育と通常教育の接近を図った1944年教育法の制定があった。同法制定後においても視覚障害教育が引き続き盲学校で行われた背景には、教育省が、視覚障害児の指導法は、通常教育のものとは異なるとして盲学校での教育を推奨していたことがあった。また、1944年教育法による盲教育と弱視教育の分化および盲児数の減少に伴い、盲学校の多くが廃校となった。そのため、存続した盲学校はすべてが大規模な寄宿制盲学校となったのであった。大規模寄宿生盲学校では、年齢・能力・視力に対応した学習集団の確保が可能となったことから、指導の効率化、課外活動の拡大、および地域との交流の強化が見られた。
- 障害科学学会の論文
- 2009-03-25
著者
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