秋田県における季節保育所と保育実習(No.2) : 昭和41年、昭和42年を中心として
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概要
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本学は保育士養成校として長年にわたり、保育実習として秋田県の季節保育所に学生たちを送ってきたが、そのまとめと次年度の学生たちに引き継ぐための記録が残されている。私は先に昭和36年より、40年までの資料について考察を試みたが、今回は41年と42年について考察してみる。農繁期の子どもの託児施設として、大正期より秋田県内の各所で、季節保育所を開設してきたが、年毎に運営する中から、常設の保育施設の必要性が痛感され、次第に常設保育施設が設置されていくことになった。その動きは秋田県においては、昭和30年代末より、40年代初めにかけて活発になって行く。季節保育所は子どもの託児をすると言う具体的、直接的な機能があるため、父母から、喜ばれ、自分たちの問題として積極的な草の根的援助が行われやすい。若妻会や老人クラブが季節保育所を主催したり、支援したりする場合も多い。農繁期の共同炊事のように保育についても共同の意識が高くなっているが、そればかりではなく、子どもの教育への関心の高まりが感じられる。また、秋田県ではこの頃から出稼ぎの問題が表面化してきており、そのための保育面の充実が必要になってきている。常設保育施設ができると、季節保育所は幼児数が少なくなり、就園前の年少児が多くなる。季節保育所は常設保育施設へ入所するための準備としての期待がかけられて行き、保護者の保育内容についての関心も高まってくる。所々に常設の保育施設が設置されると、単独の季節保育所ではなく、常設保育施設において、農繁期のみ人数を増やす形で、年少児を受け入れたり、施設内に季節保育所を開設する場合も出てくる。また、直接的に季節保育所と関わらない場合でも、固定遊具、楽器、教材の援助やアドバイスなど多くの援助を行っている。
著者
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