秋田県における季節保育所と保育実習 : 昭和36年より昭和40年を中心として
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
季節保育所は大正期から秋田県においても実施されてきたが、農村においては農繁期の忙しさの中で子どもたちの養護は思うに任せず、季節保育所が広まるにつれ、次第にその重要性は人々に認識されることとなった。やがて、常設保育所の要望が高まり、地域を挙げて、その方向へと計画が進むことになる。本学聖園学園短期大学では長年にわたり、季節保育所開設に当たり、保育実習として学生たちを派遣してきた。それらについて学生たちが書き残した生の記録からその実際をかいま見ることができる。実習においては1人または数人で一つの保育所を任され、彼らは教材を用意し、毎年5月末頃、県内の約40ヵ所へ出向いて行った。場所によっては小学校や民家に宿泊し、お寺や、神社、冬期分校などで季節保育所を開所する。朝7時頃から遅い所では6時頃まで、1、2週間の期間を過ごす。自然の中で遊び、少しずつ子どもたちに生活習慣が身に付く頃、季節保育所は終わりになる。水道、トイレも近所の家から借り、乳児を含めた異年齢の子どもたちを保育する難しさの体験、それにもまして、子どもたちを危険からまもり、無事にその期間を過ごす全責任が学生たちにかかっている。それを終える時、安堵感、喜びは非常に大きなものであった。それだけに子どもたちに愛情を感じ、今後の保育への期待も増すのだった。しかし、昭和40年頃には季節保育所の設置の目的は必ずしも農繁期保育に限らなくなり、常設保育所の準備としての保育を望むなど家庭の意向も変化してくる。同時に子どもを巡る環境にも現代化の波が押し寄せつつあった。
著者
関連論文
- 秋田県における季節保育所と保育実習(No.2) : 昭和41年、昭和42年を中心として
- 保育と戦争 : 戦時下の倉橋惣三を中心として
- 詩を通して表現された保育科短大生の姿
- 秋田県における季節保育所と保育実習 : 昭和36年より昭和40年を中心として
- 島根県の「津和野幼花園」の創設についての一考察
- 保育科短大生対象に行った生命倫理についてのアンケートからの考察
- 倉橋惣三と児童保護についての一考察 : 農繁託児所を中心として