幕末維新における新朱王学の展開(II) : 並木栗水及び楠本硯水・東沢瀉の史的地位
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概要
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本稿では前号に引き続いて、楠本碩水の生を検討する。殊に碩水三十九歳の時に惹起した「棄禄」という行為は、彼の生を画期する決定的な出来事であった。碩水の生は、この時を境にしてその前後で景観が著しく異なって見える。碩水は十四歳で佐々氏を冒して以来、三十九歳で棄禄するまで二十六年間、平戸藩に出仕した。そして、明治元年には平戸藩貢士(藩論を代表する者)に充当せられて上京、翌二年には大学少博士心得に任ぜられた。しかし、大学校代が廃止されその職を免ぜられて帰国すると、藩の役職及び俸禄を断然と捨て去って、田園隴畝の民となって故郷針尾島に退隠した。明治三年閏十月のことであった。かくて爾来四十七年間、大正五年十二月に八十五歳の生涯を閉じるまで、読書講学と農耕という清貧な生活に甘んずるのであった。本稿では、碩水の生の画期をなす三十九歳の時に惹起した棄禄という出来事に力点を置いて論じようとした。また、小論は形式上、伝記的あるいは形成史的な記述の体裁を取っているところから、行論上、碩水の退隠後の後半生についても言及した。そして、本当の意味で碩水的なものは、彼が例外者としての自覚に生きた後半生において成ったことを指摘した。それとともに、碩水を駆ってそのような生涯を送らせたところのものとは何かということについても、考察を怠らなかった。
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