幕末維新における新朱王学の展開(I) : 並木栗水及び楠本碩水・東沢瀉の史的地位
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概要
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これから数回にわたって書き続けられる予定の小論は、筆者の「並木栗水研究」の一環をなすものである。そして、「並木栗水研究」は小論の標題が示しているように、更に筆者の「幕末維新における新朱王学の展開」というテーマの一翼を担うものである。並木栗水は、幕末の朱子学者にして著名な擾夷思想家大橋訥庵の衣鉢を継ぐ者である。しかし、その師訥庵の生が優れて政治的であったのとは異なって、栗水は終世僻邑にあってモノローグの形で自己の思想を形成した。由来、栗水を知る者は極めて稀れである。その意味では、栗水はノーマンの表現を借りていえば「忘れられた思想家」である。本稿では栗水とその講友楠本碩水・東沢潟の生が、世代的には明治の啓蒙思想を担った最初のインテリゲンティア集団明六社同人のそれと全く重なるという事実を指摘して、その比較を試みようとした。ただ、前者が後者と決定的に異なる点は、後者が明治という時代に自己の抱懐する課題を具現化する積極的な展望を見出し得たのに対して、前者はその時代を例外者としての自覚に生きたところにあった。そして、例外者としての自覚に生きた彼等の苦悩に満ちた、しかし真実なるその生涯を後代から振り返ったとき、栗水には栗水の、同様に碩水には碩水の、沢潟には沢潟の、独自なる体験的背景が存するのだった。そのような独自なる体験的背景を明らかにすることによって、彼等の生を歴史的に定位しようというのが小論の課題である。行論上、本稿では碩水の生の検討から始めた。
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