鈴木正三における死の思惟の誠実性
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概要
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江戸初期の禅僧鈴木正三は、『万民徳用』によって日本の職業倫理の礎を築いたことで知られている。しかし、正三の思想の本質は死を徹底的に誠実に思索することにあった。正三は死の不安、恐ろしさを躊躇なく見つめ、その死を生きながらにして死ぬことを目指したのである。だが、彼の言行録『驢鞍橋』には、彼が晩年、死を死ぬことのできる釈迦の境地には何者も到達し得なかったこと、生きながらに死ぬということの不可能性を自覚したことが認められる。しかし、彼はなおも死を「機」として保持し続けることの意義を説いた。それは死を見つめるときに生が己の生として生きられるからである。つまり、正三の死の徹底して誠実な死の思索がたどり着いたのは、死に直面して初めて生きられる徹底した実存の思想であったといえる。
- 2007-03-31
著者
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