死の存在論的究明の条件
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概要
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ヨーロッパの伝統的な哲学は人間存在を不変のものと捉えてきた。これをニーチェは批判し、生成においてこれを捉えた。人間存在が不変であれば本質的には消滅しない。しかし、生成するのであるならば人間存在は消滅するものと捉えねばならない。つまり、死は存在論的な問題として捉えねばならなくなる。これまで等閑視されてきた死の問題が今日問われているのである。もっとも、ニーチェ自身は死について「表象し得ない」ものとし、主題的に問題にしていない。ヨーロッパに伝統的な理性の立場からは死を捉えることは出来ないというのがニーチェの立場なのである。死を存在論的に議論するためには、ヨーロッパの哲学の問いの問い方、すなわち論理や合理性といったものを超えた問いを問わねばならない。問いのあり方、ひいては我々のあり方の変容により死を存在論的に問いうる可能性があるのである。
- 2004-03-31
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