息子と恋人 : 認識の定点としての自意識について
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概要
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文明化された社会において我々が自我を保持し、自我の属性である自意識が我々に生じるのは避けがたい。David Herbert Lawrence は自伝的小説 Sons and Lovers において自意識に苦悶する若者 Paul の姿を描いている。 Paul の姿より自意識は否定されるべき精神現象であるが、Samuel Tayler Coleridge は自意識は認識の定点と作用し、自意識の遡及性、回帰性は高度かつ深遠な自己認識へと人を導くことを指摘している。本論の目的は Lawrence の初期の作品である Sons and Lovers において、特に Paul の Miriam, Clara の関係において、自意識を定点として未知の領域にある意識下の自己の探求がすでに行われていたのではないか、と言う事実を考察することにある。
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